2012年10月07日(日)
カムイィ〜〜〜 [スポーツ > F1]
カムイィ〜〜〜
カムイがやってくれた。
カムイといってもガクトではない。
尼崎商店街の英雄、小林可夢偉である。
土曜日の予選日、サーキットは異様な雰囲気に包まれていた。カムイならフロントローを取るのは当たり前、いやポールポジション取ってもおかしくない、そんなニューマが鈴鹿に充満していた。スパで速かったザウバーのマシンに、特性が似ている鈴鹿は合ってるはず、という事前の情報。それをきっかけにヒーローを待望するメディアの煽りも相まって、実際にはフリー走行でそこそこの走りしか見せられなかったにも関わらず、だ。予選結果4位には失望感すら漂っていた。
たかが3位表彰台というなかれ。世界に24人しかいないF1ドライバーの称号に到達することなく去って行った多くのドライバーのことを思う時、表彰台の重みというものがわかろうというものだ。
おめでとう、カムイ!二日で450kmも走った甲斐があったよ。

道端ジェシカ
Posted by 陰陽師 at 22時48分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年10月06日(土)
名阪国道 [スポーツ > F1]
奈良天理から三重亀山に架けて名阪国道という高速道路が有る。高速道路といっても無料なので制限速度は60q/hである。
中京圏から関西圏へ車で移動する際、名神高速を使うより名阪国道を使う方が(当然)安上がりなので大型トラックなど貨物車両の通行も非常に多い。それに大阪南部や奈良から三重に移動するルートが基本的にここくらいしかないので大変混雑する道路である。
その名阪国道、天理から乗るとすぐにΩカーブと呼ばれる日本一の難所がある。その意味するところは、事故発生率が日本一!ということなのだが、この場所、車を運転していて実に楽しい場所なのである。ワタクシも何の用事もないのに走る為だけに訪れたりすることもある。
名阪国道は工期を短く早く開通する方針で作られた道路の為、山間部に全長73qある道路にも関わらずトンネルが二つしかない。そのためアップダウンが激しく山の表面をウネウネと登ったり下ったり軽くGを感じながら運転することとなる。しかし我が愛車のレガシーのパワーとスタビリィティーにおいてはその安定感が仇となりややもするとその面白さをスポイルしてしまう。
車の値段という点ではレガシーより馬鹿高ながら安定感などの性能の劣るA社やB社の車だと逆に車を操るという意味において面白いのかもしれない(激爆)。
そんなこんなで鈴鹿へ行ってきた。
続く
Posted by 陰陽師 at 19時27分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年09月13日(木)
ワトキンス博士亡くなる [スポーツ > F1]
元F1ドクターのシド・ワトキンスが死去。印象的なセナとの会話
オートスポーツweb 9月13日(木)16時16分配信
F1の安全性向上に多大な尽力と貢献を果たしたシド・ワトキンス
長年F1ドクターを務め、F1の安全性向上に多大なる貢献を行ったプロフェッサー・シド・ワトキンスが、12日に亡くなったことがわかった。84歳だった。
ワトキンスは1978年にバーニー・エクレストンからのオファーでF1レースドクターの職に就いた。ワトキンスはF1メディカルチームの責任者を務め、後にF1のセーフティーおよびメディカル部門を率いて、FIAと協力しながらF1のレースやマシンの安全性向上のために尽力してきた。
ワトキンスは、ゲルハルト・ベルガー、マーティン・ドネリー、ミカ・ハッキネン、ルーベンス・バリチェロなど、数多くのドライバーたちの命を救った。
バリチェロはTwitterを通して、次のように記している。
「94年イモラで僕の命を救ってくれたのはシド・ワトキンスだった。一緒にいて楽しく、いつもハッピーな人だった。あなたが僕らドライバーのためにしてくれたことに感謝している。彼の魂が安らかに眠らんことを」
マクラーレン会長のロン・デニスは次のようなコメントを発表したとロイターが報じている。
「今日、モーターレーシング界はひとりの偉大な人物を失った。彼はドライバーでもなく、エンジニアでもなく、デザイナーでもない。彼は医師で、長年にわたり、F1の安全性を今日のレベルまで高めるために、誰よりも多くの貢献をしてくれた」
「大勢のドライバーたち、元ドライバーたちが、彼の熟練した慎重な処置のおかげで命を助けられた。それにより、安全性のレベルが大きく向上し、今日のドライバーたちは非常に高い安全レベルの中でレースができる」
ワトキンスは故アイルトン・セナと親しかった。著書「Life at the Limit: Triumph and Tragedy in Formula One」の中で、ワトキンスは、セナが1994年のサンマリノ予選でのロランド・ラッツェンバーガーの死亡事故に非常に動揺していたため、レースに出ないようアドバイスしたと記している。
「全部やめてしまってもいいじゃないか。まだやらなければならないことなんてあるかい? もう3度もワールドチャンピオンになり、最速のドライバーであることを証明している。もうやめて一緒に釣りに行こう」
セナは次のように答え、それがふたりの最後の会話になったという。
「シド、自分ではコントロールできないこともあるんだ。やめることはできない。続けなければ」
F1カメラマンのジェイムズ・モイはTwitterにおいて、「シド・ワトキンスとアイルトン・セナはやっと一緒に釣りに行ける」と記し、ワトキンスの冥福を祈っている。
[オートスポーツweb 2012年09月13日]
Posted by 陰陽師 at 23時48分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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